2012年5月9日水曜日

固体潤滑の現状と今後の展望


はじめに

最近の固体潤滑の実用とこれに対応すべく開発研究及び基礎研究の動向を概観すると,およそ二つに大別される。
 一つは,二硫化モリブデン(MoS2),二硫化タングステン(WS2),グラファイト,ポリテトラフルオロエチレン(PTFE)などの固体潤滑剤や固体潤滑剤として期待されるナノカーボンと高分子(プラスチックス),金属またはセラミックス材料との複合材料化による低摩擦・耐摩耗性,自己潤滑性などに優れるトライボ材料の研究と開発。もう一つはトライボロジー特性はもちろんのこと,地球環境,化学安定性,材料供給面などからの炭素系材料の研究と開発である。

後者の炭素系材料については,更に二つに大別される。グラファイト以外に固体潤滑剤として注目・検討されつつあるフラーレン(C60),カーボンナノチューブ(CNT),クラスターダイヤモンドなどのナノカーボンとこれらの複合材料,及び摺動部材のトライボ表面改質のためのDLC(ダイヤモンドライクカーボン)膜やCNx(窒化炭素)膜がある。また,MoS2系潤滑被膜についての基礎・応用両面からの研究も相変わらず多い。

本稿では全体的な概説と各論では触れられないと思われる部分及び著者らの最近の基礎研究結果について少々述べる。
 また,これを機会に,最近の固体潤滑研究会(日本トライボロジー学会,第2種研究会)の現況を紹介させて頂く。固体潤滑研究会では日本トライボロジー学会の創立50周年を記念して,固体潤滑関係の技術者の要望に応えて,約30年ぶりに「新版 固体潤滑ハンドブック」を編纂し,刊行の準備を進めている。更に,これを機に固体潤滑シンポジウムが平成19年7月11日,12日に東京,代々木で開催される。

1. プラスチック系複合材料

代表例として二,三のプラスチック系トライボ複合材料に触れる。汎用されているプラスチック系トライボ材料の一つであるポリアミド(ナイロン)6やポリアミド66の弱点の吸水性を改良した芳香族系ポリアミドのポリアミドMXD 6*1やポリアミド9T*2が注目されている。

ポリアミドMXD 6は優れた機械的強度や弾性率に加えて,耐吸水性の向上により,吸水による寸法変化や機械的強度の低下を抑制したもので,ガラス繊維強化ポリアミドMXD 6として実用化が進んでいる。

ポリアミド9Tは吸水性,耐熱性,耐薬品性,耐油性などに優れるもので,これにPTFEやシリコーン油を添加した複合材料が,ポリアミド6,66及び46より摩擦摩耗特性に優れることから歯車などへの応用が検討されつつある。

スーパーエンジニアリングプラスチックスである熱可塑性プラスチックスのPEEK(ポリエーテルエーテルケトン)は,耐熱性(融点:334℃,ガラス転移温度:143℃)や成形加工性がよく機械的強度にも優れることから,すべりPEEK軸受*3や超高速・長寿命円筒ころ軸受用の保持器*4などに適用されている。これらにはPEEKの高速運転時の耐熱性や耐摩耗性と,軸受の軽量化などの利点が関与している。


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ガラス繊維強化フェノール樹脂の摩擦摩耗特性の改良とグラファイト/フェノール樹脂系複合材の機械的強度の向上の観点から,グラファイト/ガラス繊維/フェノール樹脂の三成分系の複合材料化*5によって,双方に優れる複合材料が実現している。

いずれにしてもプラスチックスの有している軽量,加工性,自己潤滑性などの利点を利用して,弱点の機械的強度や耐熱性などに対応したより多くの複合材料の実現が期待される。

2. 炭素系トライボ材料

ナノカーボンの潤滑油やグリースへの添加剤としての実用は,著者の知るところではいまだ見当たらない。
 ここで,境界潤滑におけるナノカーボンの潤滑油やグリースへの添加効果についての最近の著者らの検討結果を紹介する。
 CNT添加油*6において,摩擦初期では顕著な低摩擦は得られないが,ある程度の摩擦後の摩擦面の平滑化によって低摩擦が得られるようになる。リチウム石けんグリースへのカーボンナノホーン(CNH),クラスターダイヤモンド(CD),グラファイトクラスターダイヤモンド(GCD)及びグラファイトの添加効果についてのFalex試験による比較*7では,熱処理カーボンナノホーン(HT-CNH)がグラファイトに近い耐荷重能を示し,耐摩耗性(図1)は最も優れていた。
 これらのナノカーボンの潤滑油やグリースへの添加剤としての実用化は,適用条件によって可能と考えられる。

図1 グリースの耐摩耗性へのナノカーボンの添加効果

 一方,CNT を添加した新しいC(炭素)/C(炭素)コンポジットの研究*8がある。
 図2に,種々のCNT添加濃度のCNT/ガラス状炭素系複合材料の比摩耗量を示す。CNTを5〜20mass%程度添加したものが最少摩耗を示し,最小摩擦係数もこの添加濃度付近で得られている。このC/Cコンポジットは耐熱性,高硬度,化学安定性などの優れた特性も有することから,比較的軽荷重条件で使用される機械・機器の摺動部材として実用化が期待される。

図2 CNT/ガラス状炭素系複合材料の比摩耗量


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DLC膜は炭素材料であるために,(1)化学的に安定で,耐薬品性,耐油性,耐熱性に優れ,地球環境にやさしく,超薄膜で使用出来るので,(2)軽量材料として超小型機械部品に適用可能である。また複雑な形状部品への成膜が可能なことから,(3)加工性がよく,CH4,C2H2,C6H6 などの炭化水素やグラファイトなどを原料にするために,(4)供給性(資源的に)が良く,種々の成膜法の開発により安価になりつつある。更に,(5)高硬度で耐久性(耐摩耗性)に優れることから,(6)経済性も期待出来るなどの多くの利点を有するためにトライボ材料として汎用されている。その代表的適用例をまとめると,表1のようになる。

表1 DLC膜のトライボロジー関係への適用例

適用分野

適用例

自動車部品ピストン・リング,給排気駆動部,燃料噴射ポンプ・フランジャーなどのエンジン部品
その他の機械の摺動部品転がり軸受,水圧・油圧ポンプベーン,歯車,水栓弁など
電気・電子部品磁気テープ,磁気ディスク,磁気ヘッド,VTR シリンダーやキャプスタンなど
加工用工具や金型アルミニウム・合金用工具・金型(深絞り),曲げ,ドライ切削など)など
光学部品レーザーバーコードスキャナ窓,カメラ用O-リング,赤外線用光学部品など
生体材料人工関節,人工歯など
家電や民生品電気カミソリの刃,サングラス,ゴーグル,ペットボトルなど

また金属加工においても,DLC膜は低摩擦性,高硬度と耐摩耗性,平滑性,耐凝着性などの優れたトライボロジー特性を持つことから,更に地球環境を考慮して,DLC膜コーティング金型や工具による無潤滑下のドライ加工が実用化しつつある。例えば,Al の加工では低摩擦や耐凝着性が要求されるが,これらに優れるDLC膜コーティング工具による無潤滑のAl 合金の切削加工において,構成刃先の形成が抑制され,刃先の鋭利性が保持されることにより潤滑加工と同等の加工表面品質が得られている*9。またTi板材の無潤滑深絞り加工においては限界絞り比の向上が実現している*10。


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最近,地球環境の観点から,DLC膜の多くの優れた利点を利用してDLC膜のトライボロジーへの取り組みが盛んになりつつある。その一つに,油潤滑における廃油処理,作業環境,資源問題などに対応した無潤滑*9,10 または水潤滑へのDLC膜の適用技術である。水潤滑下におけるDLC膜のトライボロジー特性は無潤滑下と同等以上の摩擦・摩耗特性を示すことが報告*11されている。

応用面については後述の各論*12に譲るとして,ここでは著者らの最近の水潤滑の基礎研究の結果について少々述べる*13-15。
 水潤滑下のDLC膜の広範な応用への基礎研究として,振り子型摩擦試験によるDLC膜と種々の材料との摩擦特性への水温の影響*13,14 について検討されている。図3*13に示すように,SUS304やSUS440C鋼球に対しては,むしろ高温水中ほど若干低摩擦が得られる傾向にあり,高温環境下の水潤滑でもDLC膜が対応出来ることを示唆している。

図3 水境界潤滑におけるDLC膜と種々の材料との摩擦特性への水温の影響

水潤滑下におけるDLC膜の摩擦相手材(金属:Al 及びSUS630球,セラミックス:Al2O3,ZrO2及びSiC球)による摩擦・摩耗特性*15も検討されている。Al やSUS630の対金属ではいずれも無潤滑においては摩擦係数が約0.2であるのに対して,水潤滑では約0.1に半減する。一方,対セラミックスでは無潤滑,水潤滑に依らず約0.1の非常に安定した摩擦係数が得られ,水中ではセラミックスはほとんど摩耗しないことも確認されている。
 いずれにしても,DLC膜に限らず地球環境によく対応したトライボロジー技術が今後ますます重要になってくる。この点では,固体潤滑の寄与は非常に大きい。

もう一つトライボ表面改質膜として注目されている炭素系膜にCNx膜がある。この膜はDLC膜と同様に非常に高硬度であり,窒素雰囲気中のCNx/Si3N4系やCNx/CNx系のすべり摩擦において0.001レベルの超低摩擦を実現する特異性を示す。このためにCNx膜の実用化に向けて,種々の観点からの基礎研究が盛んに行われている。例えば,低摩擦材としてCNx膜を大気中で使用するための研究では,空気成分のN2,O2及びCO2中のCNx/Si3N4系のすべり摩擦試験を行い,超低摩擦を実現させるには微量のO2の存在が影響し*16,異なる雰囲気(低真空中,酸素中及び大気中)におけるSUS440球とa-CNx膜とのすべり摩擦においては,大気中でのみ摩擦摩耗特性が外部印加電圧の影� ��を受ける*17と言う興味ある結果が得られている。なお,N2中のNx/Si3N4系の超低摩擦についての総合的な解説は文献*18を参照にされたい。


おわりに

本稿では,ごく限られた高分子系材料(芳香族ポリアミドやPEEKなど)について,また炭素系材料では地球環境の観点から,DLC膜の無潤滑及び水潤滑を中心に概観した。詳細やその他のDLC膜については最近の解説*22や論文*23などを参照されたい。

最近では,MoS2やWS2の金属二硫化物及びDLC膜の真空中の超低摩擦現象*24,またちょう密構造のフラーレン(C60)単層膜がグラファイト層間にインターカレートされた化合物がほぼ摩擦ゼロの超潤滑*25を示すことが注目されている。これらの理論的確証と実用化が期待される。

〈参考文献〉
*1 三菱エンジニアリングプラスチックス(株)資料
*2 岩井邦昭,林 亮成,川上正義,広中清一郎:材料技術,24(4),215-221(2006)
*3 山田 豊,上里元久,神野秀基,福田清治:ターボ機械,32(7),395( 2004)
*4 山本直太,水谷 守:NTN Technical Review, 72,42(2004)
*5 広中清一郎,岩井邦昭,川上正義:材料技術, 24(5),282-288( 2006)
*6 岩井邦昭,川端慎大,広中清一郎,柴崎 昭:材料技術,22(5),198-204( 2004)
*7 K.Kobayashi, S.Hironaka ,K.Umeda,A.Tanaka, S.Iijima, M.Yutasaka, M.Suzuki:J.Japan.Petrol. Inst.,48(3),121-126( 2005)
*8 M.Awano, K.Iwai, S.Hironaka : ASIATRIB 2006, Kanazawa,359-360( 2006)
*9 福井治世,沖田淳也,森口秀樹,井寄秀人:トライボロジスト,49(6),509-517(2004)
*10 村川正夫:塑性と加工,46(528),48-51 (2005-1)
*11 A.Tanaka, M. Suzuki, T.Ohana:Tribology Letters, 17, 917( 2004)
*12 鈴木雅裕:潤滑経済,No.496, 31-34(2007)
*13 長田明久,岩井邦昭,広中清一郎,鈴木雅裕,田中章浩:材料技術研究協会討論会講演要旨集,59-60( 2004-12)
*14 鈴木雅裕,長田明久,田中章浩,岩井邦昭,広中清一郎:材料技術,24( 4) ,207-214( 2006)
*15 七澤 透,岩井邦昭,広中清一郎:材料技術研究協会討論会講演要旨集,243-244(2006-12)
*16 野老山貴行,中村 隆,梅原徳次,冨田博嗣,竹之下雪徳:トライボロジスト,50(9),681-689(2006)
*17 山本崇寛, 梅原徳次, 不破良雄:トライボロジスト,51(12),900-905( 2006)
*18 足立幸志:トライボロスト,51(12),861-866( 2006)
*19 小熊清典,池田満昭,砂原賢治,松田健次,兼田髯─Д肇薀ぅ椒蹈献好函51(11),835-842(2006)
*20 小熊清典,池田満昭,大田暢彦,松田健次,兼田髯─Д肇薀ぅ椒蹈献好函51(12),913-920(2006)
*21 相良和仁,西村 允:トライボロジスト,52(2),148-155(2007)
*22 安藤淳二, 中西和之: トライボロジス ト,52(2),120-125(2007)
*23 三矢保永,張 賀東,早川文洋,大木潤一,福澤健二:トライボロジスト,51(4),316-327(2006)
*24 岩木雅宣,トライボロジスト,51( 12),873-878(2006)
*25 三浦浩治, 佐々木成朗: トライボロジスト,51(12),879-884(2006)



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