転機としての「危機」(4)
ーー戦争が起きると最初に犠牲になるのは真実だーー ichi
(1991、11、29)
(内容)
二つある戦場 印象的な映像 5%が100% 鵜のニュースソース
油井を爆破したのは誰だ 地獄のハイウエー おもいこみ
被告ジョージ・ブッシュ 無差別攻撃の禁止 大義の果て
二つある戦場
私は、前前回で、「湾岸戦争」の報道規制について触れた。報道規制のかなめとして、「プールシステム(代表取材)」があり、それにより多国籍軍に有利な世論が形成された、と指摘した。そして世論形成に強い影響をもったのは、新聞よりもテレビだった。
TBSの「ニュース23」のキャスター、筑紫哲也は「湾岸戦争」を次のように振り返っている。
「戦争報道で特に重要な問題は、テレビが現実を追いかける能力があることを証明した反面、単に現実に引っぱり回されるメディアでもあることでした。・・戦場が二つあるような戦争はこれまでに例がありません。イラク側とアメリカ側とが、どうしたら情報での戦いの中で勝つかということと、実際の戦闘でもいかに勝つかということを、同じくらい大事だと考えて戦争が行われました。
この道具にされたのが、端的に言って終始テレビだったのです。・・・テレビは目の前に与えられたエサをかなり貪欲にたべる。・・・アメリカ側のエサは情報をコントロールする形でまかれました。情報をアメリカ側に有利にするために、情報の管理を徹底的に研究してやった」(「アメリカ大国主義の原罪」 日本文芸社)。
テレビの現場からは、アメリカ側が「テレビという戦場」でも、「勝利」したことを述べている。
印象的な映像
しかし、いまテレビで演出された湾岸戦争を、少しは検討できそうだ。
私が、映像として今でも印象に残っているものが、3つある。
1、ピンポイント爆撃
2、油にまみれた鵜
3、地上戦での大量降伏したイラク兵の長い列
これらは我々にどのようなイメージを与えたか?
1の「ピンポイント爆撃」は、アメリカ軍の大量の爆撃は、軍事施設のみを狙い、人を殺さない「スマートな爆弾」だということ。
2は、環境保護に関心がある人々を、「フセインはひどい」と怒らせた。
3は、地上戦はあっけなく終わり、「死者」もあまりでていないだろう、という楽観的な気持ちをもたせた。
これら3つの衝撃的な映像は、「クリーンな戦争」と「フセインはヒットラー」というイメージを人々に抱かせた。
5%が100%
戦争中に、軍のスポークスマンは、大量の「スマート爆弾」が発射され、精密に目標を破壊したというイメージを、世界の人々に信じさせようとした。しかし、実際はどうか?
3月15日に、米空軍から、一定実態が明らかにされた。戦争で使用されたスマート爆弾の割合は、10%以下であり、スマート爆弾の40−50%を占めるレーザー誘導爆弾であっても「90%程度が目標に命中した」。
アメリカの戦争犯罪を追求している元アメリカ司法長官のクラークによれば、爆撃の実態は次のようだ。
アメリカは、イラクに対して、8万8000トンの爆弾を投下したが、これは広島を破壊した原子爆弾の7倍に匹敵する。しかも、爆弾の93%が自由落下爆弾であり、この大部分は高度3万フィート(9000メートル)以上の上空から投下された。残りの7%は、電子誘導装置付きの爆弾であるが、その25%が目標をはずれ、さらにほぼその全部が、もともと識別可能な目標を超えて、被害をもたらした。
単純に計算すれば、「ピンポイント爆撃」は、全体の「7%×75%=5.25%」−約5%にすぎない。
我々は、この5%をあたかも100%かのように、イメージさせられていたことになる。
材料の疲労のために行われたテスト
残り約95%の爆弾は、イラクの近代的な社会基盤である「水道、食糧・医療品供給体制、衛生、電力、電気通信、輸送など」の民生施設を破壊した。
2月13日、テレビで、空爆による死者の映像として「アミリヤ・シエルター」が放映された。世界では、この映像でアメリカの空爆にたいして「本当に軍事施設だけが爆破されているのか?」という疑問を持った。この民間シェルターでの死者は400名を超えたそうだが、そもそもこの民間人の死者の数は、空爆の被害者の一部にすぎなかった。
環境保護・平和団体であるグリーンピースの1991年7月の推定では、空爆によって兵士5万−6万、民間人5千−1万5千が死亡したという。
鵜のニュースソース
環境保護派を、激怒させた「油にまみれた鵜」の映像はどうだろうか?
戦争が終わってから、しばらくたって、NHKで「湾岸戦争とテレビ」というような特集があった。立花隆、石川好、天野祐吉の対談だった。そのなかで、立花が「油にまみれた鵜」の映像に触れ、「あの映像が湾岸戦争に対して間違ったイメージを持つように働いた。これからの学校教育で、映像を批判的に見る訓練をつけてほしい」というような発言があった。まるで、新聞の一面も飾ったあの「油まみれの鵜」が、でっちあげの映像だと言っているようだった。
駐日イラク大使のアルリファイが「アラブの論理」という本(講談社)を書いている。「イラク側からの戦争の真実」を述べたものだ。そのなかでこの「油まみれの鵜」についてふれている。
「だれもが1月末頃、原油まみれになった鵜の1種が、アラビヤ湾で油まみれで、もがいているシーンをニュースで見た記憶があるに違いない。そのずっと後で、信頼できるマスコミが、それは米国情報機関が制作したもので、米国及び西側の世論を心理的に惑わすために、アラビヤ湾以外で作成されたという事実をつかんだ。それ以来、このシーンは公表されなくなっている」。
テレビのニュースをよく見ている友人に聞くと、「確かにある時から、鵜の映像が出てこなくなった」とのことだ。
私には、真相がどこにあるか、断定はできない。しかし、世界に大きな影響を与えたこの「油まみれの鵜」ですら、ニュースソースが疑問視されている。
油井を爆破したのは誰だ
そもそも、この「油まみれの鵜」は、イラクによってひきおこされた「原油による環境破壊」ということを象徴的に伝えている。マスコミはクウェートの石油施設がイラクによって破壊されたと、何度も伝えた。
しかし、事実はそう単純なものではないようだ。
さきに触れたグリーンピースの報告書によれば次のようだ。
「クウェートでの破壊の多くが、多国籍軍の爆撃の結果だということも明らかだ。空爆初日の夜から航空機や巡航ミサイルが通信・輸送関連施設を含むクウェートの「戦略」目標を攻撃した。ニューズウィーク誌の代表取材記者は、『・・・市の郊外のいくつかの工場が多国籍軍の攻撃で激しく破壊された』と報じた。イラク軍に占拠されていた「石油ポンプ施設」も『多国籍軍の攻撃で倒壊した』という」。
雑誌「エスタミネ」の創刊号(11月号)に、広河隆一(フォトジャーナリスト)が、6月のクウェートを訪れ「偽りの戦争−−戦りつのクウェート」というルポを書いている。彼は、このクウェートの油井の破壊についてれ次のようにかく。
「油井の火災のかなりの部分が、イラクによって引き起こされたのは事実だ。・・・
クウェートの環境問題の専門家アリ・フレイベル博士は、35の油井の爆破はアメリカ軍を中心とした多国籍軍の手で行われたと証言した。他の情報省関係者に確かめてみたが本当らしい。
イラク軍はたかをくくっていたというのだ。油井のそばに高射砲やミサイルの基地を設けたら、アメリカは油井の破壊と環境破壊を恐れる余り、決して攻撃してこないだろう、と。
しかし、その考えは甘かった。アメリカは環境への配慮をするほど、お人好しではなかった。イラクに対する空爆には、これらの基地がじゃまだった。こうして35の油井が瞬時に爆破された。イラクの中の製油所も、破壊炎上した」。
先に述べたイラク駐日大使は原油流出と油井の爆破についてこう述べる。
ホースショックアレスタ
「米空軍が1月23日に行った、イラクの大型原油タンカー2隻への攻撃と、その後のクウェート海岸の精油所、さたにイラク、クウェート両方の油井及び石油施設への攻撃が、アラビヤ湾最悪の原油流出と環境破壊を引き起こす主要原因ととなった。また、航空機とヘリコプターが、油井、原油貯蔵タンク、精油所に、ナパーム弾や気化爆弾で攻撃し、イラクとクウェートの油井火災の主な原因になった。・・・当然、米国及び西側のマスコミはアラビヤ湾の生態破壊を、イラクが故意に原油を流し、クウェートの油田を燃やした結果だと言い出した。・・・
事実、大部分の油井火災は、今でもクウェートの油田のいたるところにその破片が散乱している、米国の集束爆弾と砲弾によって、引き起こされたものである。この油田破壊がイラクによるものだと米国人が見せた唯一の証拠は、米兵士がクウェートの油井にイラク軍が縛り付けたとする爆弾の包をしめしているビデオ・フィルムだった。これは米国情報機関が作成したものに違いない」。
このように、イラクによるクウェートの油井破壊という戦争中の「常識」も、どうもあやしそうだ。
アメリカの元司法長官であり、自ら2月と4月にイラクの現地調査を行ったクラークは、原油流出のかなりの部分、油井破壊の多くの部分が、アメリカの空爆によっているとしている。また、爆撃によりイラクの石油精製所の80%が破壊されたと報告している。
結局、「油まみれの鵜」の映像がもたらした「イラクによる環境破壊」というイメージは、実態とはそうとうかけ離れていたと、言えるだろう。
地獄のハイウエー
最後の地上戦についてはどうだろうか?
わたしは、前前号で、地上戦は「戦車や装甲車での撤退ではなくあらゆる種類の車でパニック状態で北に向かった「イラク兵士」に対しての無差別殺りくであり、この大量の殺人を、報道規制がとかれた後、マスコミはきちんと報道するだろうか?」と疑問を出した。
私は、いまだ新聞(朝日、日経)では映像を伴ったきちんとした報道を知らない。しかし、先に触れた雑誌「エスタミネ」の記事で、この地上戦の片鱗を見ることが出来る。
今では、クウェート市からイラクへと続くハイウエーは「死のハイウエー」とも「地獄のハイウエー」ともよばれている。ここで、アメリカ軍はイラクへの「撤退」を認めず、ハイウエーを塞ぎ、皆殺しをした。
例えば次のようだ。
「ものすごい数の焼けただれた車両が、眼下の視界を埋めていた。クウェートの西北の丘陵地帯メトゥラである。・・・案内人や他の証言によると、メトゥラの惨劇は2月25日深夜から26日の明け方にかけて起こった。命令を受けたイラク軍は、夜の11時、クウェートから大あわてで撤退を始めた。大群の車両がこのメトゥラにさしかかったとき、先頭のコンボイがまず、多国籍軍に攻撃され、それが道を塞いだ。後から後から撤退する車が押し寄せた。数千台の車で、道路が玉突状態になったとき、アメリカの爆撃機が襲いかかった。・・・夜明けまでに、すべての車両が爆破された。
しかし私は複数の人間から、驚くべきことを聞いた。死者たちのなかに、多数の市民が含まれていたというのである。バスの中から、クウェート人、フィリピン人、インド人、パキスタン人、パレスチナ人そのほかが、焼けただれた死体になって発見され、特にクウェート人の多くは、ロープで縛られていた。そしてポケットからは、彼らの国籍を示す身分証が発見されたのだ。
イラクは、撤退の安全確保と戦後の捕虜交換で優位に立てるようにと、撤退直前に市内で手当り次第にクウェート人を捕まえ、イラクに連れ去ろうとした。
今世界は、行方不明のクウェート人達を戻すようにと、イラクに圧力をかけている。しかし多くの人が、アメリカ軍の爆撃で死んだ可能性があるのだ。この事実が公になることは、アメリカにとって都合が悪いのはいうまでもない。」
この地上戦の様子が、駐日大使の「アラブの論理」でも、次のように告発されている。
「イラク指導者が2月26日、クウェートからの撤退を表明し、軍隊が速やかに撤退を開始した後も、多国籍軍は撤退していくイラク軍や民間人に対する残忍な殺害を続けた。
何は、アルミニウムの融点されてい
何千人ものクウェート人、イラク人、パレスチナ人、ヨルダン人の民間人は、・・・多国籍軍のクウェート攻撃を恐れ、イラク軍撤退の前日(25日)、クウェートからイラクに向けて脱出を始めたが、途中、猛烈な爆撃に会い、バスラの手前の延長11キロの高速道路で全滅させられた。"死のハイウエー"には、何百台もの車と何千もの死体が散らばった。
翌日、撤退するイラク軍に同様の攻撃が続き、道路の延長百キロにわたって、戦車、装甲車、トラック、救急車の破片、何千もの死体が散らばった。生存者は報告されていない。・・・あるトラックには、9体の民間人の死体が乗っており、皮膚は焼けて灰になっていた」。
イラク駐日大使は、多国籍軍は国際的な戦争法規で禁止されている大量殺りく兵器(燃料気化爆弾、ナパーム弾、集束爆弾、スーパー爆弾など)を使用して、無差別に多数の人々を殺害した告発している。
イギリスはアメリカと並ぶ、多国籍軍の一翼をになった。ジョン・レノンの「イマジン」などを放送禁止にするなど、厳しい報道規制がしかれた。
しかし、戦争終了4日後、「オブザーバ」は湾岸戦争特集をくみ"戦争の真実"(The real face of war)というキャプションをつけて、クウェートから撤退中に攻撃を受け、真っ黒に焼けただれた死体写真を大々的に載せた。あまりにも残酷なこの写真によって、戦争支持が8割にも達したイギリス市民の間でも動揺が出始めたという。
結局、地上戦で大量に降伏した捕虜の映像も、実は悲惨な地上戦をカムフラージュする働きをしていたことになる。
この地上戦での死者は、グリーンピースの推定で、兵士5万−6万、民間人は不明とある。
おもいこみ
7月段階で、この戦争でアメリカ側の死者は375名、イスラエルも含んだ多国籍軍側に死者は、全部で480名である。
クウェート人の死者については、クウェート政府は何故か、公式の見積を明らかにしていない。
一方、イラク側の推定の死者は、兵士10万−12万、民間人6万−9万、計16万−21万である。しかも、この民間人の死者の90%近くが、停戦後死んだという。約半分が、内乱で、残りが経済封鎖による栄養失調や爆撃による医療施設の崩壊によるものという。
我々が戦争中に描いたイメージと、実態とは全くかけ離れたもののようだ。
さきにクウェートのルポをした広河は、ルポの最後にこう記す。
「私たちは大急ぎで、湾岸戦争が何であったか検証し直さなければならない。この戦争について私たちはほとんど何も知らないといっても言い過ぎではないのだ」。
実は、いま見てきたように、私達の実態はもっと危険なものだ。テレビの映像を通じて、私達は「自分はこの戦争をよく知っている」と、勘違いをしているからだ。
自分が「無知」であると自覚している場合、機会が有れば正しい情報を入れようとする。しかし、自分がそれについて「よく知っている」と考えている場合、自分がイメージしているものとは違う情報は、ほとんど受け入れることができない。
被告ジョージ・ブッシュ
戦争にも、ルールというものがある。
多くの紛争や戦争を経て、人類はいくつかの国際的な戦争法規を確立してきた。
戦争中、アメリカのブッシュ大統領は、「フセインを戦争犯罪人として国際的に訴追する」と、なんども言っていた。しかし、戦争が終わるともうその声は聞かれない。
一方、元アメリカ司法長官のクラークという人が、この戦争を巡って「国際戦争犯罪法廷のための調査委員会」を結成して、被告ブッシュを告発する国際的な運動を起こしている。
「被告ジョージ・ブッシュ有罪 国際戦争犯罪法廷への告発状」(ライゼイ・クラーク著 柏書房 650円)という本がある。写真入りで、この告発状が訳されている。
戦争に関して、ハーグ条約、ジュネーブ条約、ニュルンベルグ条約、国際憲章などある。これらの条約で、「文民を攻撃することの禁止、戦争捕虜の扱い、無差別攻撃の禁止、自然環境の保護」などがうたわれている。
クラークは、これらの国際条約に、この戦争は違反しており、それを指示したアメリカ大統領ブッシュを、告発している。
私は、初めてこれらの条約の一部を読んでみた。立派な内容だ。
1949年8月12日のジュネーブ諸条約に追加される国際的武力紛争の犠牲者の保護に関する議定書(第一議定書 1977年)というものがある(注)。その第51条、第55条の一部を抜き書きしてみる。
無差別攻撃の禁止
第51条(一般住民の保護)
A個々の文民と同様、一般住民そのものを攻撃の対象にしてはならない。一般住民の間に恐怖を広めることをその主たる目的とする暴力行為または暴力による威嚇は、禁止する。
C無差別攻撃は、禁止する。無差別攻撃とは、つぎの攻撃であって、それぞれの場合に、軍事目標および文民または民生物に区別なしに打撃を与える性質を有するものをいいう。
a 特定の軍事目標を対象としない攻撃
b 特定の軍事目標のみを対象とすることができない戦闘の方法もしくは手段を使用する攻撃
これを読むと、空爆をするなら、「ピンポイント爆弾」しか国際法上は認められないことになる。
戦争中、軍事評論家は「ピンポイント爆撃はすばらしい」とはいったが、これが国際法上、当然の爆撃方法だとは言った記憶が、私にはない。
第55条(自然環境の保護)
@戦争においては、広範な、長期のかつ重大な損害から自然環境を保護するために、注意しなければならない。この保護は、自然環境に対してそのような損害を生ぜしめ、かつ、それによって住民の健康もしくは生存を害することを意図したまたはそのように予想できる戦争の方法または手段の使用の禁止を含む。
クウェートの油井の破壊は議論の余地があるとしても、イラク内の石油精製所の破壊に対しては、アメリカ側に弁解の余地はないだろう。
この「国際戦争犯罪法廷」は、まず世界各国で、「湾岸戦争調査団」の公聴会を開いている。5月にニューヨークを皮切りに、9月に東京でも開かれた。来年の2月オランダでこの国際法廷が開催される予定だ。
大義の果て
小田実が「アメリカ大国主義の原罪」の中でつぎのように書いている。
「私は大阪で大空襲を経験した。1945年8月14日が私の原点になっている。この日、即ち戦争の終わる前日の午後に大阪ですざまじい空襲があった。・・・
それから20時間後に戦争は終わった。それでは、戦争が終わる前日、大阪で受けた最大の爆撃で死んでいった大勢の市民たちは一体何のために死んでいったのか・・・。
日本は広島、長崎の後降伏を決意し、ポツダム宣言の受諾を外交のあった国を通じてアメリカに送った。そのため2日間だけ空襲が中止になった。・・・ところが、日本は降伏にあたり一つの条件をつけた。それは、天皇制の護持、国体の護持というものだった。この条件をめぐってモタモタしているうちに、アメリカがまた怒って圧力を掛けるために空襲を再開した。・・・このため大勢の人が死んだ。国体護持という大義のために大勢の人が死んだ。次の日戦争が終わるというのに・・・。これが我々庶民の運命なのだ。・・・同じようなことが、大義の名の下に繰り返されるのはもうたくさんだ。にもかかわらず湾岸戦争ではまさにこの通りのことが行われた」。
実は、湾岸戦争ではこれ以上の事が行われていた。
2月28日に、アメリカ大統領ブッシュは、「戦争終結宣言」をした。しかし、その後3月2日に米軍はイラクのバスラ西部に攻撃を行い750台以上の車両を破壊し、数千人を殺害した。一体これはなんだ?この死者は一体、何の為に死んだのか?
小田実はこう結ぶ。
「これから先、ブッシュ大統領とフセイン大統領はまた仲良くなるかもしれない。そうなると、戦争で死んだ人は一体何だったのかということになる。こうしたことを考えると、戦争をやることはいかに虚しく無意味であるかがよく分かる。大義よりも戦争をやらないことのほうがはるかに大切だ」。
「戦争が起きると最初に犠牲になるのは真実だ」。この言葉は、今から約70年前に、アメリカのある上院議員がいったそうだ。情報化時代といわれて久しい1991年、世界を巻き込んだ「湾岸戦争」はどうだったか?
(1991年11月29日)
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